明石城築城400周年のPRパートナーに攻城団を選んだ理由

これまで明石城を切り口にした観光振興はなかった

瀧田

まずは明石城のプロモーションについて聞かせてください。

明石観光協会さんは、先日東京で開催された「ツーリズムEXPOジャパン 2018」に出展されていて、「どうでした?」と伺ったら「首都圏では明石城があまり知られてなかった」とおっしゃってましたよね。

ではこれから明石城の認知度を高めていくためにどんな課題があるとお考えなのか、現状把握されていることなどについて教えていただけますか。

樫原

まず思い浮かぶのは、観光情報を発信する自分たち明石観光協会の人間が、明石城に対する関心度合いが低かったというのがいちばんの課題ですね。

瀧田

それは意外ですね。こんなに近くにあるのに? むしろそばにありすぎるからでしょうか。

樫原

ふたつの櫓が重要文化財に指定されていることもあり、明石城は明石市の歴史を象徴する建造物としてとても大きな存在です。しかし外部に発信していく観光協会・観光行政がこれまで切り口としてきたのは「明石焼」などの「食」であったり、「子午線」や「明石市立天文科学館」といったもので、明石城に関してはあまり興味関心が少なかった、と振り返ることができます。

つまり「明石城がある明石市です」という切り口はなかったんです。わたしが観光に関わっているのは17〜18年前からなのですが、明石城を切り口にした観光振興はおこなわれていませんでした。きっと関係者が関心がなかったからなのでしょうね。

瀧田

明石市で暮らす方々にとって明石城というのはどういう存在なのでしょうか。

樫原

明石市の方にとっては「明石公園」ってイメージですかね。わたしは近所で育ちましたから、小さな頃から明石公園で遊んでいました。

おそらく多くの方にとっては、野球場であり、テニスコート、陸上競技場だったり、あるいはお花見にいく場所といった認識だろうと思います。

瀧田

公園化されている城址は多いですから、地元の方にとっては歴史スポットとしての「お城」よりも日常的な「公園」の印象が強いのでしょうね。

樫原

「明石公園」という名前ですが、もし「明石城公園」という名前だったらちがったのかもしれませんね。身近な公園であるために、みなさんにとって明石城を見にいこうという感覚は少ないんじゃないかと思います。

わたしはたまたま明石市立図書館で仕事をしていたこともありますので、図書館に通うときに明石城のことをよく見かけ、知ってるだけです。

(※瀧田注:明石市立図書館=現在のあかしふるさと図書館は明石城の北の丸跡にあります)

明石城は明石駅からもよく見えますが、たとえば巽櫓や坤櫓についても歴史的建造物だとかそういう意識はあまりないんじゃないかなと思います。

瀧田

2006年(平成18年)に公益財団法人日本城郭協会さんが「日本100名城」を発表され、同時にスタンプラリーがはじまりました。明石城はそのとき100名城のひとつに選定されたわけですが、これをきっかけにかなりの人が来城されたのではないですか。

樫原

そうでしょうね、という言い方をすると語弊がありますが、正確には把握できていないのです。明石公園の管理は明石市ではなく兵庫県であるため、情報がタイムリーに伝わってこないんです。なんとなく話が漏れ伝わって知るといった流れでしたね。

瀧田

たしかに取材のときも櫓を開けてくださったのは兵庫県の方でしたね。では100名城のスタンプが置かれたといった情報もあとから知るわけですか。

樫原

ええ、ボランティアガイドさんから「どこそこに100名城のスタンプがあるよ」って聞いて知ったのかな。

最初の話に戻りますが、私たちの場合はこういう事情もあり、自分たちが発信すること、発信したほうがいいことを知らなかったのです。これがいちばんの課題でした。要するに実態がまったく見えていないわけですから。

それでも私たち観光協会が明石市のほかの部署に比べればまだ実態を把握できているのは、明石城に近いところで仕事をしているからなんです。たとえば「明石城を案内してほしい」という問い合わせは観光協会に届きますから「最近、問い合わせが増えてきたな」とすぐにわかります。ほかにも観光バスの駐車スペースの受付管理もしているので、そういうところで注目度合いや訪問される方が増えてきたなという実感があります。

瀧田

なるほど。管理団体がどこかというのはふだんの業務にやはり影響してきますよね。

樫原

これが明石市の管理であればもっと明石城についての理解ができていたかもしれません。自分たちの管轄ではないとなると、ちょっと心理的なハードルが高くなるといいますか、関心を持ちにくくなるというところがありますよね。

瀧田

明石公園を活用しようとなると、兵庫県とのやり取りが大きく発生してきますものね。ところで以前は「一般社団法人明石観光協会」という組織はなかったのでしょうか。

樫原

ありました。とはいえ明石市のOB職員が1人、アルバイト等臨時職員が2〜3人でしたから、ほとんどのことは明石市の観光振興課が動いているのが実態でした。私も3年前までは明石市の観光振興課におりました。明石市として動きにくいところは観光協会の名前で動きましょうという感じでしたが、「県立明石公園」となるとやはり手を出しにくいんですよね。

現在は明石観光協会も職員が増え、人が増えてきましたから、市のことも県のこともやれますし、自発的に施策を考えたり実行できるようになりました。

瀧田

そうでしたか。

樫原

これまで明石観光協会では積極的に明石城で何かをするということはほぼありませんでした。明石城に来ていただいた方をボランティアガイドが案内することと、観光バスの駐車スペースの受付管理をすることくらいです。

もちろん「こういうことを発信しよう」とか「こうした情報が不足している」といった改善案は出ていたのですが、当時は明石城について発信するよりも、天文科学館や商店街の情報を発信することに意識が向いていました。そもそも商店街と明石城をつなげるコンテクスト(文脈)について考えたこともなかったです。

瀧田

歴史を掘り起こすと、お城と城下町はかならず結びつくのですが、まず歴史を知らないことには発想も出てこないですものね。

樫原

おっしゃるとおりです。私たちの関心が低かったために明石城と市内をつなげる何かをちゃんと見つけられていませんでした。

攻城団との出会いと約半年にわたる取り組みについて

瀧田

お城を取り巻く環境でいうと「日本100名城」の選定がはじまり、2017年(平成29年)は「続日本100名城」が発表されました。来年は明石城も築城400年を迎えますが、2000年代になると各地で築城○○周年事業がはじまったりして、お城めぐりは一過性のブームから、ひとつの趣味として定着しつつある感もあります。

そのなかで当社、攻城団は「お城を訪問した記録を残せる」サービスとして創業してきたのですが、樫原さんとはじめてお会いしたのは、去年の「お城EXPO」でしたよね。攻城団の第一印象ってどんな感じだったのでしょうか。

樫原

印象としては「この会社はいったい何をする会社なんだろうか」と。

コラボチラシを置かせてもらえないかと連絡をいただいたのが最初に知ったきっかけでしたね。職員から「こんな話が来ているんですが……」と聞いて「へー、そんな会社あるんや、そんなことやってるんや、おもしろいなあ、以上!」でしたね。正直、お城専門のメディアなんてはじめて聞きましたし、いったいどう付き合っていいかさっぱりわからなかったんです。

瀧田

たしかにどういう会社なのか、なにをして収益を上げているのかは毎回のように聞かれますね。

樫原

たとえばお城に関してなにかするときはえらい先生や学芸員の方々に話を聞くという感覚でしたから、いわゆる民間企業の方といっしょに何かするというイメージは最初からなかったんです。むしろそのパートナーになれる会社があるってこと自体がとにかく新鮮でした。

そして昨年「お城EXPO」に参加して、お城好きな方々と直接お会いすることで、みなさんの持っているパワーにほんとうにびっくりしたんですよね。そこで、明石城に関するグッズを作ろう、ウェブサイトを活用して情報を発信していこうと考えるようになりました。今年も「お城EXPO」に出展しますが、せっかく参加するのだから、きちんと明石城から発信できる材料、ツールを作りたいと考えて協力を依頼しました。

瀧田

なるほど。最初にご当地缶バッジとクリアファイルをつくりました。それと並行してガイドブックをつくりましたが、まずはグッズについての感想を聞かせていただけますか。

樫原

缶バッチとクリアファイルについてはどっちもよく売れています。コレクターズアイテムとしてみなさん買って行かれるし、なにより喜んでもらえるのは驚きでしたね。これは私が知ってるこれまでの観光の感覚とはぜんぜんちがいます。

瀧田

長く観光行政にかかわっている樫原さんから伺うと、重い言葉ですね。

じっさいに樫原さん以外のみなさんの反応ってどうだったのでしょう。明石城にあまり関心がなかったと最初におっしゃっていましたよね。

樫原

最初は……正直にいうと観光協会の中は私以外、みんな乗り気じゃなかったです。

でも缶バッジをつくったことで変わりました。あのとき瀬戸内海をイメージして、浅葱色でつくりましたよね。あわせてサンプルとして白や黒のものも送っていただいたのですが、黒のほうがかっこいいとか、どうしてこっちの色にしなかったとか、協会内で話題になったんです。

缶バッチもクリアファイルも、最初は「ふーん」とか「まあがんばって」くらいの反応だったんですよ。でもイベントに持っていくとびっくりするぐらい反応してもらえるんです。目の前でこれだけの反響があればみんなの意識も変わってきますよね。

瀧田

そうだったんですか。

樫原

おかげでね、以前作った明石城がデザインされた手ぬぐいがあるんですが、こちらも便乗して売れはじめているんですよ。作ったときはまったく売れなくて、在庫が積み上がっていたのですが、いっしょにお買い求めいただいています。そもそも当時は作ったことをお知らせする手段もなかったですしね。

やっぱり結果です。もし明石城グッズが売れてなかったら、みんなの反応もよろしくないと思うんですけど、こうしてじっさいに売れていて、問い合わせもあるとなれば、やっぱり協会内の反応も変わってきますよ。

瀧田

ご当地缶バッジは現地の方といっしょにデザインを決めていくのですが、みなさん「自分がほしい」とおっしゃってくださいます。ぼくたちも「自分がほしくなるようなグッズしかつくらない」と決めているのですが、取材でお邪魔した際にみなさんが缶バッジをカバンなどにつけてくださってるのがうれしかったです。

もうひとつの「明石城完全攻城ガイド」はいかがですか。

この日のインタビューは「明石城完全攻城ガイド」の最終チェックを兼ねておこなわれました

「専門的なことをふつうの人にわかりやすく伝える」のは攻城団だからできること

樫原

これは最初にお会いした際にもお伝えしたことですが、専門的なことをわかりやすく伝えるというのは特別なスキルであって、誰にでもできることではないと思っています。

世の中にはお城の専門家の方々もいらっしゃるし、お城に詳しい方もたくさんいます。でもその知識を一般の方にわかりやすく、興味を持っていただけるように伝えるのは簡単ではありません。老若男女、予備知識のない方々に対して、明石城の魅力を届けるにはやはりそのスキルを持った人にお願いするべきだと考えました。

瀧田

樫原さんがサンプルとしてお渡しした「二条城完全攻城ガイド」を見ながら「こういうのつくりたい、やりたい」っておっしゃっていただいたのをよくおぼえています。